先の見えないトンネルを潜り抜けるということ

大学を卒業してから約2年と半年経った。卒業直後は自分の体調をなんとかコントロールするのに精いっぱいで、これから自分が何をすべきかとか具体的に考えている余裕はなかった。もちろん大学院に行くというぼんやりとした目標はあったけど、体調が悪いあのときの状況で、前向きな気持ちで何かをすることを、意識的に考えることは出来なかった。

 

卒業後1年は院に行くための勉強を一応形だけしながら、自分の病気の症例数を数多く持つ病院へ行って検査をしたり、薬を変えたりして、自分の体調をなんとかコントロールできるように試行錯誤していた。

 

そういった日々を送りながら1年が経ったが、なかなか思うように体調は安定しなかった。そうした中、自分の中で「やれることはやった。それでも体調は安定しない」という現実に絶望感を抱くようになった。出来る限り自分の中で手を尽くした、という自負のようなものが少なからずあっただけに、そのときはすごく苦しかった。前向きに何かをしようとも思えなかったし、する必要も感じなかった。

 

 

そうした絶望的な状況からゲームをやるようになった。

 

特にソシャゲに熱中していた。ゲームをしているときは、自分が病気であることも、今自分がしなくちゃいけないことも、全部考える必要がなかった。ただ毎日のクエストをこなして、ログインボーナスを受け取り、新しいイベントが来ないかyoutubeをチェックしながら過ごす、そういうことだけしていればよかった。そうしていればなんとか生きることができた。ただずっと、ゲームのことだけを考えて生きていた。

 

もちろんただ家でゲームに熱中している日々が良いことなんて思わないし、勉強をして、何か建設的なことをしていた方が、はるかに重要で大切なことなんだと思うけど、あのとき悪化する体調の中、何もかもに絶望しているあの環境の中で、ゲームという行為が、その絶望を唯一忘れさせてくれるものだった。

 

そんな風にして残りの1年を過ごしていた。

 

ただ、そういった日々を送る一方で「このままではダメだ。建設的なことをしないと」という思いは折に触れて感じていた。そうした思いは日に日に強くなり、今年の3月20日あたりに限界が来て、熱中していたゲームをすべてアンインストールし、英検準1級の勉強を始めた。

 

なぜ英検準1級を取得しようと思ったのかは自分でもあまり分からない。ただあのとき、かつて一度受験したけれども落ちてしまった英検準1級にもう一度チャレンジしたいと思い、取った後で、これからの自分の人生についてゆっくり考えようと思った。

 

英検準1級の勉強期間は3月22日から6月2日の約2か月間。この日々は本当に、英検準1級のことだけを考え続けていた。毎日3時間から5時間机に張り付いて勉強していた。合間の休憩時間も英語字幕で海外ドラマを見たり、NHK World Newsを見たり、とにかく英語に触れている時間をつくるようにしていた。

 

そうした日々は、今までゲームに1日中熱中していた自分からしてみれば、とても幸福な期間だったように思う。目標に向かって計画を立て、毎日一つ一つ課題をこなしていく。少しずつ少しずつ自分の成長みたいなものも感じ、朝から晩まで、英検準1級のことだけ考え続ける。一日中熱中していたのはゲームも同じだけど、対象が何なのかによってここまで気持ちの充実度が違うのか、と感じていた。

 

そうした頑張りのおかげで、結果として英検準1級を獲得した。合格結果を見たときは本当に本当に嬉しかった。2か月ひたむきに頑張った甲斐があったと思った。

 

しかし、「さあこれから何をすべきか考えよう」という段になったとき、何かをしたいと強く思うようなものがそのときの自分には思いつかなかった。英検準1級を勉強しているときは、ただそのことだけを考え続けていればよかった。しかし、いざそこから解き放たれたとき、自分は何をすべきか分からない宙ぶらりんの状態に陥ってしまった。一種の燃え尽き症候群のようなものだったかもしれない。

 

そのため、取得してから1か月は、特に何もせず家で過ごした。勉強を開始した当初は、英検準1級を取得した先に何かあると思っていたけど、そんな簡単にやるべきことは分からなかった。その現実に、少し打ちのめされた。

そうした閉塞的な状況が1か月ほど続いた後に、何故かは分からないけど、少しずつ少しずつ、「働く」ということが今までよりもより具体的にイメージできるようになった。それは長野の実家から離れて、学生時代一人暮らしていた東京のアパートに久しぶりに帰ったのも一つの要因かもしれない。そのアパートで特に誰とも会話せず、本当に一人で部屋の中で一日中いることが、「何かしなければ」という焦りを今まで以上に現実的に感じさせた。

 

そうした日々を経て、「働く」ということが今の自分のやるべきことなんだと思い、今現在、就職活動をしている。ハローワークジョブカフェ、サポートステーション、就職エージェント、利用できるところは出来る限り利用してきた。その結果として、自分の中で働きたい、働いてみたいと思えるような会社を一つだけ見つけた。

 

ただ、今ここでその企業に応募をするという行為に自分は躊躇ってしまっている。ここで応募してしまったら、「働く」という道を俺は自分の中で決めきるということになる。もちろん採用される絶対的な保証なんかないから、そこで不採用になって別の道を模索する可能性もあると思う。ただ、今ここでその企業に応募をするという行為は、ある種の不退転の意思を見せることだと自分は捉えている。一度動き出してしまったら、もう戻ることはできない、そんな場所に今立っているような気がしている。ハローワークやサポステに行っていたときは、いつでもやめれたし、またどの道にも進めるゼロの位置にすぐに戻ってくることができた。その位置に自分は立っていた。ただ、今ここで応募をするという行為は、「大学院」だったり「英検1級」だったり、その他の今の自分が取りうるあらゆる選択肢を投げ捨て、「働く」という行為にある意味命をかけることを意味している。今の自分はその状況に少しばかり怯えて、二の足を踏んでしまっている。

 

この道を選ぼうと思ってるし、それが今の自分にとって最善の道なんじゃないかと思ってる。でもこの一歩を踏み出したら、おそらく簡単に戻っては来れない。だからこの一歩を踏み出すのにどうしてもあと少し勇気がいる。

 

台風15号が東京付近を通過している。暴風雨が窓を叩く音で眠れない。あと数時間過ぎ去ったら台風はもう通過しているだろうか。想像以上に風が強かった。部屋も時折揺れている。ノートパソコンの画面も震えている。そんな状況の中、この文章を書いている。

 

とにかくこの1週間のうちに行動に移したい。台風が過ぎ去ったら、サポステの人にも会って、髪も切る。長野に帰って、出来る限りいろんな人と話しながら初めの一歩を踏み出す覚悟を決めよう。