一人で生きると豪語しながら、誰かと繋がりたい矛盾

何を書こうかパソコンの前でじっとしていろんな考えが思い浮かんだけど、結局適当なものは思い浮かばなかった。こういうときはすぐに記事作成画面を閉じるんだけど、「なんでもいいから書くことによって、自分が伝えたいことが浮かんでくるかもしれない」とふと思って、とりあえず頭に浮かんだことを書いてみようと思った。

 

基本一人で日常生活を送っている。起きてから寝るまで、youtubesmartnewstwitterを見ながら一日を過ごしている。基本誰かと連絡をとることはない。もちろん今は何にもしていない無職の状態だから、それは当然かもしれないけど、思えば中学、高校、大学のどの時期にも、ふと気づいたら「自分が教室で一人きりでいること」を認識することがよくあった。

プライドが高いから、「俺も話に混ぜて」とか言うことが出来なかったし、そういう風に誰かに頼ることは自分の弱みを見せることだと思ってやりたくなかった。

 

高校は1か月しか行ってないけど、休み時間はずっと司馬遼太郎の本を読んでた。司馬遼太郎があのときの逃避先だった。

 

大学時代は、「病気である自分」と「普通の人である他者」との境界線を強く引いてしまって、いつも一人で行動することが多かった。特に、「自分の病気がバレてしまったらどうしよう」、という恐怖がずっとつきまとっていて、「病気だとカミングアウトしたら引かれてしまう、もう同じように接してはくれないかもしれない」と思って、ごく少数の友人にしか伝えることができなかった。そういう風に他者を捉えていたから、相手も「俺は壁を作る人なんだ」と思って、踏み込んだ付き合いに発展することはなかった。もしかしたら、俺が「病気を持っている」と伝えて、友達になりたいという意思を見せていたら、もっとずっと幸せな大学生活が送れたかもしれないけど、「病気を伝えたら引かれてしまう」という恐怖はとてつもなく強かったし、友達を作ることよりも何より、自分の体調を安定させて大学に行き続けることが最優先事項だったから、他に術はなかったかもしれない。

 

ただ、最近無性に誰かと話したいと思うことがある。そういうときに、容易に連絡が取れる友人がいないことを少し寂しく感じる。悩みや喜びみたいなものを気兼ねなく話して共感し合えるような、そんな体験をしたいと思った。ブログを久しぶりに再開したのも、Twitterを始めたのも、そういった気持ちの表れかもしれない。今すぐどうこうということじゃないけど、今書いていることも含めて、Twitterでつぶやくことも含めて、そういった行為を続けていった先に、もっと人と繋がれるような未来があればいいし、そういう未来が仮になくとも得るものはきっとあるだろうと思った。