真夜中からこんばんは

お盆にどこにも行かない行けない僕は自堕落だ。

 

きっかけを探している。

でもそうやって何もせずに、何も建設的な行動をしないのに救済だけ縋っても、自分は助けてくれるものは現れないって経験的に分かってる。

 

 

物語が、人が、俺を救ってきた。

 

俺自身はとても脆弱だ。何もせずにただ助けられることを願っている愚か者だ。

 

 

心の中で疼く。

 

 

救われろ。衝動的に救われろ。リスクを伴わず、安全地帯から俯瞰する世界にどれだけの意味を見出せるだろう。

 

 

エンドロールが鳴り響く。ファンファーレが聞こえる。

ペトリコールが過ぎ去って、後には空虚な僕だけが残る。

 

 

 

選択の是非はいつも分からない

どうしたらいいのか分からなくて右往左往する。

 

優柔不断こそ僕であり、石橋を叩いて渡ることこそ信条だったのだけど、あまりにも二の足を踏みすぎて、変化を渇望している。

 

 

何かスイッチがOFFからONに急に切り替わって、「ぐんっ」って自分の組成が再構築されるような、そんなきっかけを探している。

 

何かきっかけが、きっかけが欲しい。

 

何年も引きこもって、その自分を嫌悪して、だから変わりたくて、予備校に通おうと思ったあの日。自転車でいつもの散歩コースを走っていた。変わりたくて、いつも左に曲がるルートを選ばず、右に行った。それでも逡巡して自転車を止める。どうしよう。このまま前に進んでいいのか。進め。進め。行け。行け。あのとき俺は衝動に突き動かされていた。もう変わるしかなくて、この鬱屈した日々、自堕落な日々を変えるには、この道を進むしかなくて、だから行く。行く。行く。俺は行く。

 

そうやってそのまま自転車を再び漕ぎ出し、駅で電車に乗り換えて、予備校に行った。

あの日に俺の日常は変わった。

 

 

去年の3月、それまでゲームにただ没頭していて、どうしても抜け出せなくて、辛くて、辛くて、でも変わらないといけなくて、その我慢の限界が来たあの日。俺はゲームをアンインストールして、英検準1級の勉強を始めた。2か月ただそのことだけを考え続けた。あの日俺は変わったんだ。あの日俺の日常は変わった。

 

そういうきっかけを再び探している。何かきっかけが欲しい。

 

 

俺はまた変わりたい。俺はまた変わりたい。

 

僕にとって。本当の僕にとって。

 

 

 

生まれたての小鹿の足は震えている

目の前に映る何もかもが怖くて。

一人じゃ立てなくて。どうしたらいいのかも分からなくて。

 

きっと生まれたての小鹿は泣いている。

どうしようもなく泣いている。

 

でも本能的に、立とうとする。4本の足で、立とうとする。

 

恐怖と勇気が同居している。

心に巣食う恐怖と闘っている。必死に。

 

 

今の俺は生まれたての小鹿だ。

必死に立とうとする。自分の足で立とうとする。

 

決意表明

深夜3時。こんな時間まで起きるのが常態化してしまった。

 

ただただやるべきことを先延ばしにして、ずっとスマホをいじっている。動画を見たり、ニュースサイトを見たり。それらは決して建設的なことじゃなくて、ただ消費しているだけで、自分にとって本当に大事なものじゃないと分かりながら、どうしてもそこから抜け出せない。ただ即物的な快楽に溺れている。

何もやりたくないから。見据えるべきゴールがないから、ふらついている。ただ日々を貪っている。ただ時間をつぶすために時間をつぶしている。

 

俺はいつも何かに頼ってきた。人に、本に。それは親であり、村上春樹であった。その支えは俺が生きる上で確かで、強固な、外圧からの防波堤だった。それはつまり、ずっとその存在に依存してきた、ということだろう。

 

助けてもらうことは悪いことじゃない。協力を仰ぐことは悪いことじゃない。

ただ、誰かが言っていた。アニメのワンシーンだっただろうか。

 

「人は一人では生きていけないけれど、一人で生きようとしなければ、そこには甘えや媚が生まれる。」

 

俺は甘えている。人に、本に。

最近、その支えがふっと跡形もなく崩れてしまう可能性を考えた。それは自身のすべての活力を奪う恐怖となった。その恐怖はとどまることを知らず、際限なく巨大化した。

何もやる気が起きなくなり、何もしたくなくなった。

 

そんなんで本当にいいのだろうか。

 

俺はいい加減、一人で立つべきだ。

 

誰かの庇護下で生きるのはもうやめるべきだ。もうこんな年齢だからとかじゃない。

もっと純粋に、根源的な理由から、変わるべきだ。

 

何年も前から自分の立脚点を探している。

 

自分が拠って立つところ。どんなものにだって耐えられる防波堤を、俺自身がつくる。

 

どうやったらそんなことが出来るのか分からない。でも一つの解は、きっと働くことだろう。

 

働く。何かと理由をつけて、先延ばしにしている、今の俺が最も着手すべきもの。

働く。俺は。働く。

 

いい加減。

 

今はこんな強い言葉が言える。だけどそれは今だけで、明日になったら、正確には今から寝て起きたら、今のこの決意はもう瓦解しているかもしれない。やる気をずっと継続させることは簡単なことじゃない。

 

だからまず、この深夜3時に寝る不規則な生活を直そう。明日になったら、すべてが数時間前の俺と元通りになっていたとしても、不規則な生活だけは直そう。無気力で何もしたくなくても、早く歯磨きをして、早くお風呂に入って、早く寝よう。初めは上手く寝付けないないかもしれないけど、布団には入ろう。

 

 

そうやって健全な生活を取り戻そう。

不健全な生活から健全な思考が生まれるわけない。

 

変わろう。俺は自分の足で立とう。

 

 

 

何も変わらない

 

 


uminecosounds - 何も変わらない

 

twitterのアカウントを消した。

何度も何度も「やめよう」と思い続けてきて、それがついに臨界点を越えた。

 

だから未練とか、後悔とかは今のところない。

 

去年の6月あたりに開設して、ついにそれを終わらせる日が来た。

いろいろな人と関わり、さまざまな経験をした。決して心穏やかに受容できるものばかりではないけれど、これからの自分自身の大きな糧となる、はずだ。

 

と同時に、自分自身の紛うことなき「孤立性」は、ついぞ払拭されることはなかった。

その部分では「何も変わらなかった」。以前と以後に差異を生み出すものが何かあるなら、それは「あの日々を経験した」か否かだろうか。ツイッターをやって、自身が成長出来たかどうかは分からないけれど、「ツイッターをやったら自分の孤立性が消えてなくなるわけではない」ということは分かった。そんなことをこの曲を聴きながら思った。

 

 

それでも、このブログは残る。

 

過去の自分の恥ずかしい文章も、もがいている痛々しいその過程も、すべてここには残そうと思う。

 

また始める。ツイッターをとかじゃなく、新しいことを、また始めてみたい。

何度打ちのめされたって、俺はずっと光を求めてるよ。

 

簡潔に、簡潔に、簡潔に

ツイッターのアカウントを消そうと思う日が周期的にやってくる。

 

理由はきっと、自分が "勝手に" 作った箱に自分自身が "勝手に "耐えられなくなったからだと思う。

 

村上春樹は「あなたの作品は性描写が多い。それを抑えることはできませんか」といった読者からの問いに「僕の作品からその要素だけを取り出すことはできない。それは密接に物語と結びついて、それも含めてまるごと総体なんです」みたいなことを言っていた。

 

「総体」という言葉が妙にしっくりきた。

 

だから俺自身を語るときに、病気は切っても切り離せなくて、それも含めてまるごと総体が俺自身なんだと思った。音楽だって、ポエムみたいな文章だって、全部含めて、それが総体としての俺なんだ、と。

 

だから、ツイッターの俺は「病気」を持っていて、「音楽」が好きで、「詩」が好きで、「英語」を勉強して、そういうことを全部意のままにつぶやいていいんだと思ったし、事実そうしていた。

 

だけど、いつの日からかそうやってなんでもをつぶやくことが窮屈になってしまった。俺の決して多くはないけれど確かにいるフォロワーの人とは、例えば「病気」で、例えば「音楽」で、例えば「価値観」である種繋がった。

 

そうなると自分が「〇〇」という関係性でつながった人には、俺の「××」というツイートは幾分ノイズになる、と思う。

 

なんでもつぶやけばいい、総体としての俺をつぶやきたいと思っていたけど、そうすることは個別の彼らそれぞれに対して、ある意味不誠実になるんじゃないか。

 

別にそこまで強く思ってはいないけど、ツイートする一歩手前でいつも相応のブレーキがかかる。そのブレーキが重圧になって、窮屈に感じることがある。

 

我ながら考えすぎだと思うし、周りはきっとそんな重く考えてないのも分かってるけど、なんだろうね、そういう性分なんだろうと思う。

 

だからいつかふとしたときに俺のツイッターが急に消えるかもしれないけど、それは俺が "勝手に" 感じる重圧に耐えられなくなったからだと思ってください。これは相談とか、引き留めてほしいとかでは本当になくて、自分の考えをあらかじめ伝えることが、俺なりの誠意だと思うからここに書いています。

 

衝動的にアカウントを消したことは今まで何度もあって、そういうときは何も言わずに消してきたから、せめてそういうものにはしたくない、というやつです。

 

今すぐ消すわけじゃなくて、このまま何てことなくアカウントが残る未来も当たり前のようにあるかもしれない。だからこれは本当に戯れ言だね。

 

妄言かもしれない。

 

横谷峡遊歩道でパニックになった話

11月5日御射鹿池(みしゃかいけ)に行った。当初はそこだけに行く予定が、横谷観音(よこやかんのん)、横谷峡遊歩道(よこやきょうゆうほどう)にも結果的に行くことになった。そして横谷峡遊歩道という場所が、その旅を通して最も印象に残る場所となった。そのことについて書こうと思う。大分長いです。

f:id:mementy:20191108185846j:plain

御射鹿池

 

なぜ横谷峡遊歩道に行ったのか

1,2か月くらい前から御射鹿池(みしゃかいけ)に行きたいと思っていた。そのとき体調や精神的な問題で自分の心は大分沈んでいて、無理矢理にでも何か建設的なことをしなければ、このまま自分が潰れていってしまいそうな状況に陥っていた。

 

どうせ行くなら紅葉が最もきれいに映える日に行こうと、事前に茅野(ちの)観光協会のようなところにも問い合わせた。計3回。毎回違う人が電話に出て、基本的な情報は大体同じだったけれど、御射鹿池周辺で歩いて散策できる場所を聞くと、ある人は「そんな場所はない」と言ったり、またある人は「どこどこ(忘れてしまった)の滝や散策ルートが近くにあります」と言ったり、答えが一様ではなかったので、周辺で散策できる場所はない、と半ば結論付けて旅行当日を迎えることにした。

 

旅行当日、日没間近の夕日に照らされた御射鹿池のみを観光することを目指していたから、予定としては、時間は遅く、大体午後4時20分ごろに御射鹿池に到着し、1時間くらいそこで景色を堪能して帰ろうと思っていた。アクセスとしては茅野駅まで電車で行き、そこからはタクシーを使って40分くらいかけて御射鹿池に行く予定だった。

 

御射鹿池さえ見れれば良かった。

 

しかし、都会とは違って電車の本数はそこまで多くなく、適当な時間に電車に乗ることが出来なかったので、予定していたよりも大分早い午後3時くらいに茅野駅に着いてしまった。予定よりは40~50分早かった。茅野駅周辺で観光スポットはないかと茅野観光案内所でその旨を尋ねると、「〇〇考古博物館(忘れてしまった)は今日はやっていないし、御射鹿池から歩いて行けるスポットもあるけど、もう遅い」とのことだった。この歩いて行けるスポットが、横谷峡遊歩道というのは後に知る。

 

「もう遅い」と言われてしまったので、「もっと早く来ていれば」と後悔しながら少しやけになって「もう御射鹿池行ってしまえ」と、予定した時間より30分ほど早く目的地に行くことにした。駅のロータリーに停車していたタクシーに乗り込み、「御射鹿池に行ってください」と言った。しかし、ふと茅野(ちの)で有名な紅葉スポットは御射鹿池以外にあるのか気になった。尋ねてみると、「蓼科湖」、「横谷観音」という候補が挙げられた。

 

詳しく話を聞いてみると、「蓼科湖(たてしなこ)」は湖と木々のコントラストが良く、「横谷観音(よこやかんのん)」は高所からのきれいな眺めが楽しめるとのことだった。御射鹿池との距離感覚を聞いてみると、「蓼科湖」は御射鹿池から大分離れているが、「横谷観音」は横谷峡遊歩道というルートを通れば、徒歩1時間ほどで御射鹿池にたどり着けるということだった。車だと大きく迂回しなければならず、さらに時間がかかるということだった。そのときおそらく午後3時20分ごろ。今から横谷観音までだと40分ほど。大体午後4時くらいに着き、そこから徒歩で御射鹿池に向かえば日没までにはぎりぎりたどり着けるのではないかという見通しがあった。周れるスポットがあるなら出来るだけ周りたいと思ったので、走行中の車内で目的地を急遽横谷観音に変えることにした。

 

長くなってしまったけど、これが横谷峡遊歩道に行った理由。時間はあまりなかったけれど、横谷観音の紅葉も、御射鹿池の紅葉もどちらも見たいと思い、横谷峡遊歩道を通ることでなんとかその2つを見ることが現実的に可能かもしれないということが分かった。だから行ってみようと思った。

 

二つの問題

まず、横谷観音から御射鹿池まで徒歩約1時間となると、夕日が御射鹿池に最も鮮やかに当たる光景を見るのには間に合わなないのではないか、という懸念があった。そもそも御射鹿池のためにここまでやってきたのだから、安全を取るなら御射鹿池に直行すべきだった。最初に御射鹿池に行った後に、横谷峡遊歩道を通って横谷観音に行くことも出来たけど、それだと上りのルートになってしまい大分キツいと感じたので断念した。ただそうした方が確実だった。

 

2つ目は横谷観音に着いたのが午後3時50分ごろ、その日の茅野市の日没は午後4時48分だったので、もしかしたら自分の歩く速度が遅くて、もしくは道に迷って時間がかかり、夕日が沈んで御射鹿池の紅葉を見れないどころか、あたりは真っ暗の中、その山のなかで一人取り残されてしまうという危険があった。

これが一番恐怖だった。後で分かったことだけど、日没後すぐに真っ暗になるわけではなく、数十分はまだ明るい状態が続くので、この恐怖は結果として杞憂だったのだけど、そのときはそんなこと分からないから、もしかして自分は自分自身を死へ誘おうとしているのではないかという思いを多少感じていた。

しかし、運転手の方に「横谷観音に目的地を変更してください」と言った手前、そしてもうすでに目的地は間近に迫っている状況で、引き返すという選択肢はあの時点では考えられなかった。

 

横谷観音に到着

f:id:mementy:20191108190045j:plain

横谷観音展望台から見える景色

 

駐車場はおそらく50台以上の車が停められるだけの大きなスペースがあり、その周りには紅葉の木々がどこもかしこもに植わっていた。運転手の方は、夕暮れ間近に横谷峡遊歩道を歩こうとする自分を心配してくれて、横谷観音にはもう着いたにもかかわらず、自分をその遊歩道まで案内してくれた。道中や展望台で出会った人は合わせて10人くらいで、そもそも連休明けの日ということもあり、人は少なかった。横谷観音やその展望台から見える景色はとてもきれいだった。ここを目的地にして来たとしても後悔はしなかっただろうと感じた。

 

いざ横谷峡遊歩道へ

本筋を語るのに大分かかってしまった。とにかくこれは記録に残さなければいけないと終わった後に感じたから、どういう経緯でここに来たのかは出来る限り克明に書かなければと思い長くなってしまった。

 

横谷峡遊歩道の入り口には看板が置かれていて、「遊歩道ではなくトレッキングや登山用の区間もあるからサンダルやハイヒールでは入ってはいけない」、みたいなことが書かれていた。「傾斜が大分急だから気を付けて」といったことは運転手の方に言われていたので、のんびり歩けるいわゆる”遊歩道”ではないのだろうというのは、そのときなんとなくは認識していた。それまでは車が2台すれ違うことができるような広い道を通ってきたけど、そこからは幅約1メートルほどの道に変わっていた。運転手の方には感謝を伝えてそこで別れた。そして一人その遊歩道の入り口に足を踏み入れた。

 

f:id:mementy:20191108202545j:plain

横谷峡遊歩道─入口

初めは高揚感でいっぱいだった。自分のほかには誰もいない道を一人突き進む。周りは黄色く色づいた木々で溢れていた。都度立ち止まって何度も写真を撮った。傾斜は聞いていた通り急だったけれど、高地から低地へ下っていくようなルートだったからそこまで疲労感は感じなかった。御射鹿池が目的地だったけれども、ここが一番紅葉を感じられる場所なのではないかと思った。とても楽しんでいたように思う。最初は。

 

事態がおかしくなってきたのは、全道程の5分の2ほど進んだあたりだったと思う。少しずつ少しずつ息が上がるようになった。「日没までに行かなければあたりは暗くなり、木々や植物が乱立したこの場所に取り残されてしまう」という不安はずっと感じていたから、歩く速度は必然的に速くなっていた。おかしい、と思った。心臓の鼓動の速度がいつのまにか異常なくらい速くなっていた。「ドクドクドクドク」という音が自分の体内で鳴る音が聞こえた。

そこから急激に恐怖を感じた。自分のほかに誰もいない場所で一人。俺は半ば過呼吸になりながら、この場所に一人いる。助けを呼ぶことは出来ない。俺はその場に立てられていた背の低い柵に座った。なんとかこの恐怖を鎮めるために、心臓の異常な拍動を抑えるために、強引に深呼吸をした。何度も繰り返した。しかしそんなことをしていれば、どんどん日が暮れていってしまう。日が当たっているうちにこの遊歩道を抜けなければいけない、という強迫観念のようなものが、座って休んでいる俺に襲い掛かった。

 

そこからはパニックだった。既にパニックだったかもしれない。

 

異常な心臓の拍動は収まらず、休まなければいけない。しかし、休んでしまったら日が暮れて、あたりは真っ暗になって俺は帰るに帰れなくなる。その板挟みの状態が、ただただ絶望だった。この場所に俺は来てよかったのか、と思った。急激に世界がとてつもなく怖いものに感じた。自分の安全が担保されない世界に飛び込んでしまった気がした。

f:id:mementy:20191108202353j:plain

まだ写真を撮る余裕があったときに撮ったもの─1

f:id:mementy:20191108190712j:plain

まだ写真を撮る余裕があったときに撮ったもの─2

 

例えば世界で自分が一人になったことを想像したとしても、そこまで恐怖を感じないのではないかと思う。俺はそうだった。ただそれは世界で自分が一人ぼっちである、ということを本当の意味で想像できていないから、怖くないのだと思う。もし本当に世界がそのようになったら、自分は半狂乱になってしまうのではないかと思う。他の人がいることが当たり前だから、いなくなったことを真の意味で体感することはできない。そこは常識が通用しない世界で、自分の命の安全さえ満足に保障されない領域なんだと思う。

 

あのときあの遊歩道でパニックになっていた俺は、そういう状況にある部分で近接していたのだと思う。

誰もいない場所で一人過呼吸になる。熊や狼などの狂暴な動物に襲われるかもしれない。もちろん「遊歩道」と名付けられているくらいだから、そんなことは起きないのかもしれないけど、あのときは肥大化した恐怖で、正常な判断が出来なかった。その時点で引き返せばよかったかもしれない。

 引き返すという選択肢はあった。事実、来た道を戻ることを想像したら大分気持ちは軽くなった。今ならまだ引き返せるかもしれない。今ならまだなんとかなるかもしれない、と思った。

 ただどうしてか、この絶対的な恐怖は最近の自分自身を取り巻いてる閉塞感と同じようなものなのかもしれない、と思ってしまった。最近、手をこまねいて、いろいろな物事にアクションを起こせないでいる。それは行動した先の恐怖に足がすくんでそれに打ち勝つことができないからだ。恐怖があるからこそ、行動を起こせない。そうした最近の諸々の恐怖をある部分で体現したものが、今現在自分が直面している恐怖なのではないかと思ってしまった。

俺がこの道を引き返すことは簡単だった。ただそれでいいのだろうか。この恐怖にただ逃げてそれでいいのだろうか。富士山山頂から滑落した男性が死亡した状態で発見されたというニュースを最近聞いた。あの人は、見えている警告やサインのようなものを見過ごして、結果として命を落としてしまったのではないか。そう考えると、この危険な状態からは即刻立ち去るべきではないか。自分も同じ目に遭ってしまわないように。

 ただ、どうしてもこの先の見えない不確かな道程を、自ら自分自身の足で切り抜けなければいけないのではないかという必然のようなものを自分は感じていた。何故俺はあのタクシーの運転手に紅葉のスポットを聞いて、そこから「横谷観音」というワードが出て、俺は行きたいと思い、ここまでやってきたのか。それにはきっと意味があるはずだ。意味があるはずだ。だとしたら、恐怖に震えながら、不安に押しつぶされそうになりながらも、俺は進まなくてはいけないのではないか、と思った。

  パニックになりながら、必死に深呼吸を繰り返した。意識的に息を吸う感覚を、吐く感覚を遅くするようにした。心臓の拍動はそれでもずっと速いままだったけれども、「きっと遅くなっている」と言い聞かせて、柵から立ち上がって、少しずつ少しずつ歩を進めた。遊歩道に入った当初は意気揚々と写真を撮っていたけれども、そんなことをしようとする余裕はもうなかった。気分を無理矢理落ち着かせるために音楽をスマホから流したけれども、音を聞きつけた動物に襲われてしまう恐怖で、すぐに止めてしまった。

 「行ける。大丈夫だ。」と必死に心の中で言い聞かせて歩いた。過呼吸や心臓の鼓動が酷くなる度に、再度立ち止まって腰を下ろして、無理矢理深呼吸をした。いつこの道は終わるんだろうと思った。眼下に道路らしきものが見えて、一瞬希望を抱いたけれども、それはなんてことない木の枝だった。「落石注意」という看板や、不安定そうな長さ3mほどの小さな橋を渡らなければいけない状況が、恐怖をさらに助長させた。

 

遊歩道の終着点

そういった状況の中、ただひたすら歩いた。多分そうした状況になってから20分くらい歩いた頃だと思う。木々の隙間から大きな旅館の外壁のようなものが見えた。後で分かったことだけど、それは明治温泉という宿で、複数のルートに分岐する横谷峡遊歩道の一つの終着点だった。滝から勢いよく飛沫を上げて流れる川を挟んで、その旅館は位置していた。

f:id:mementy:20191108190914j:plain

遊歩道から見えた明石温泉

f:id:mementy:20191108191159j:plain

やっと現実に、安全な現実に戻ってくることが出来たと思った。

 このときの安心感や多幸感みたいなものはとてつもなく大きなものだった。それを形容するのはなかなか難しい。2日経った今ではもうリアルに思い出すことは出来ないけれど、何かとてつもなく大きな力に涙ぐみながら感謝していたことは覚えている。

 とにかく俺は自分自身の足で、その道を踏破した。安全な世界に戻ることができた。なんてことない道路、少し年季がかった旅館の外観、駐車場に乗用車で入ってくるおそらく家族連れの人たち。日常に帰ってきた。ただそれでも、異常な拍動はなかなか収まらず、御射鹿池に至る坂道の道路を鼓動が激しくなる度に、片膝を地面につけて深呼吸した。何度も何度も。

f:id:mementy:20191108191259j:plain

坂道からみえた夕日

 

御射鹿池

10分ほどその道路を歩いた先に、御射鹿池はあった。そのころには心臓の鼓動も平常に戻っていた。既に日常の中に俺は完全に戻っていた。あのとき、あの場所で非日常の世界にいた俺はもういなかった。そこには御射鹿池があって、舗装された道路や駐車場があり、少なかったけれど人もいた。ついさっきまでの恐怖や不安は、もう既にこの時点ではっきりと過去のものになっていた。

 御射鹿池はとてもきれいだった。多くの人が帰り支度をしている中、ずっと写真を撮り、網膜にも何度も焼き付けた。何故かずっと見ていたくなるような神秘性を感じた。きっともっと語り得ることはあるだろうし、語るべきこともあるかもしれないけど、御射鹿池のことは、少なくともこの記事ではこれぐらいに留めておこうと思う。

f:id:mementy:20191108203738j:plain

御射鹿池

 

帰途

f:id:mementy:20191108191336j:plain

そして日も大分暮れかかった頃に、タクシーを呼んで帰った。タクシーの中、そしてそれから乗った電車の中で、俺は御射鹿池ではなく、横谷峡遊歩道のことを考えていた。あの絶望的な恐怖の中で、なぜ俺は前に進もうと思ったんだろう。そういうことを撮った写真を見返しながら考えていた。

 

あの半ば過呼吸になった苦しい状況の中で、ふとある言葉を思い出した。

 

モーツァルトの『魔笛』の試練のように、いくつかの痛みを引き受けなければ、人は真の意味で成長することはできない」

 

多分細部で誤りがあるかもしれないけど、『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』の中で村上春樹はそのようなことを言っていた。あのときあの絶望的な恐怖の中で、その言葉は前に進む一つの指針となっていたように思う。この恐怖を切り抜けることで、今の自分自身をより強固な足場へ運んでいくことができるかもしれない。そういうことを漠然と思っていたんじゃないかと思う。

結果として俺はその恐怖の”砂嵐”(『海辺のカフカ』の言葉を借りるなら)を切り抜けた。そしてそれによって、何か俺自身の組成に変化があったのかは、あまりよく分かっていない。ただ切り抜けたことそのものに意味があったのではないかと思う。これからまた現実の、より具体的な不安や恐怖に直面していく。そのときに、少しでも今回の出来事が何らかの形で役に立てばいいなと思う。

 

ということで終わり。気づけば6800文字以上書いていた。ブログでこんなに文章を書いたのは初めてだ。そしてこんなに推敲したのも初めてだ。何故か文章を書いたり推敲したりしているときに、ポールオースターの『ムーン・パレス』を思い出した。読んだのは1年くらい前なのに、その世界観の残滓のようなものが、今でも自分の頭の片隅に残っていたのだろうか。最後あたりの文章は大分その影響が出ているかもしれない。