僕たちはきっと分かり合うことはできない

SNSやネットニュースのコメント欄とかで僕の主張とは異なる価値観が展開されてると、つい反論したくなる。彼らの主張の論点の不備を並べ立てて、僕の主張が正しいんだと押し通したくなる。

 

でも基本的に実際に行動に移すことはない。そもそも誰かと激しく意見を交換することが得意じゃないし、その行為がどうしたって「攻撃」の要素を持ってしまうから。

 

でもそういった自分とは違う意見や主張がおおむね高評価を受けていると、どうしてもやるせなさを感じるし、もやもやする。

 

だからこう思うことにした。

 

僕たちはきっと本質的に分かり合うことはできないから、話し合う必要なんかないんだと。

 

僕たちは分かりあう必要なんかないし、分かり合おうとする必要もない。

ああ君はそう思うんだね。でも僕たちはきっと分かり合えないから、お互いの主張のどちらが正しいかなんて、とても不毛だよね。

そう思うようにしたい。

 

突き放す行為だから、これはちょっと冷たすぎる態度かもしれないけど、世の中のいろんな問題にそれぞれ「ただ一つの解」を話し合って決めていくには、あまりにもしんどすぎると思う。僕はしんどい。

 

分かり合えないという前提のもとに立つと、僕の意見と異なる意見があっても、そこまでもやもやしない。

 

きっと分かり合えない。だから話し合う必要も、妥協し合う必要もない。

 

僕らはずっと平行線で、それぞれの価値観を生きていく。

 

一種の諦めだけど、それがきっと楽だ。

 

これは、世の中全体がそういう風に無関心であればいいと思っているわけじゃない。

今日もどこかでいろんな主張がぶつかり合っている現状に、僕が一石を投じたいということでもない。

 

あくまで僕の人生のスタンスとして、他者の意見に無関心でありたい。より厳密に言えば、SNSやネット記事のコメント欄だとかで交わされる議論に対して、一定の距離を保って生きたい。

 

それだけ。

 

 

「分かりみが深い」って何?「エモい」って何?自分の言葉で語ろうよ

定型文みたいな言葉で片づけないで、あなたの、あなただけの感性で感じたことなんだからあなたの言葉で語ってよ。

 

ネットでこういう「何度も擦られてるフレーズ」を使う人が一定数いて、その度に「うう…」ってなる。

 

安易だな、って思う。あなたが感じたあなただけの感傷とか感動を、決まりきったおざなりの言葉に落とし込んでいいの?

 

みんな誰かに、誰かの言葉に影響を受けて生きているから、誰からも、何からも影響されない言葉なんてこの世にないんだろうけど、それにしたってもうちょっとオリジナルが欲しいよ。

 

君のオリジナルが欲しい。

何か

何か書くとなったら、はじまりの言葉があって、それを展開する本旨の文があって、最後に一応の結論を提示しなければいけないと思っている節があって、だから散文的な文章が書けず、ここに書くのもいちいち及び腰になってしまっていた。

 

割と書きたいことがあったら「記事を書く」をクリックしていろいろ書いてみるのだけど、はじまりの言葉が上手いこと決まらず、本旨が読み手に納得させるには不十分な分量で、結論という結論もないような終わり方だとどうしても、投稿には至らず下書きの山の中に消えている。

 

でもそんな大層な理想を掲げたところで、このブログの価値が担保されるわけでもないし、そもそもここにあるのは散文の集積で、それは結局何てことないなんでもないモノだから、いろいろ考えるのをやめて自由に書こうと思う。

 

はじまりもおわりもない文章の羅列。それを書くと表明していることが既に自己矛盾に陥っているような気がするけれど。

 

まあいずれにせよ、これからはもっとラフな形で書こうと思う。

不完全を提示しよう。

小心者の狂信者

久しぶりの投稿。

 

先日東京のアパートを引き払った。コロナ禍の東京に1週間前にやって来て、ただひたすら段ボールにものを詰め、半ば徹夜しながらギリギリまで荷造りをした。

 

やっと終わった。大学での4年と卒業後の4年。8年という期間この部屋が自分の住まいだった。正直もう2~3年も前からこの場所にはずっともやもやした思いを抱えていたから、感傷みたいなものもこの場所を離れる寂しさのようなものもなかった。他の卒業生はみんなこの場所から離れて新たなコミュニティで生きているにも拘わらず、僕は未だにこの場所で燻っていた。ただひたすらにそれが鈍痛のように僕を締め付けていたように思う。

 

この部屋にいることが、この街を歩くことが、嫌でも自分が未だ止まっていることを認識させた。グッバイ東京。またここに来ることがあれば、そのときは今よりももっと強くなっていればと思う。

 

そして今僕は実家にいる。親の仕事を手伝って、そこで正社員として働いている。これがぬるま湯だということは分かっている。就職活動をして、オフィスで上司の叱責に耐え、苦手な同僚と親睦を深め、日々の業務に身を削る思いで従事する、そんな過酷な条件を多くの人がやっているなか、僕は未だに親の庇護下に安住するという選択をとってしまった。

 

そう自分を責める一方、何年も頭の中で「働かなければ」と呪詛のように繰り返された呪縛からは解放された、そのことに安心もしている。「一般的な企業で働く」ことは人間的な成長という点でとても大切なことだと思うけれど、一番重要なことはどんな形であれ「働く」ということであり、そこで給料をもらって自ら生計を立てていくことが出来れば、どんな形式だっていいんじゃないかと思っている。

 

ここで正社員として親の仕事を手伝い、英語の勉強をし、趣味の漫画を読む。今はそんな日々を過ごしており、それだけでいい気がしている。

 

「表現したい」だとか「自分が本当に好きなことを仕事にしたい」だとか、そういった高尚な目的が今の僕にはそこまで重要な位置を占めていない。

 

 

そんなわけで、中途半端な就職活動の、基準に満たない自分探しの、あくせくしたその終着点はここだった。そしてここからまた始まる。自分がやるべきこととやりたいこと、どちらも大切にしながらやっていきたい。

 

 

どこにでもいる僕だけの

去年の今頃、Twitterにどっぷり浸かっていた。

とにかくいろんな人と関わりたかった。自分の、自分だけの考えを評価してもらいたかったし、同じような考えを持つ人のつぶやきを見たかった。

強く関わりを持った人は3人ほどしかいなかったけど、彼らと僕との間には思考の深いところで、少なくない数の共通点があったように思う。

僕と同じような考えを持つ人がいて、そしてそんな彼らに僕のことを認識し、ある意味で評価してもらえたことがとても嬉しかった。

あの日あのときの青春みたいな輝きは、僕の人生の一ページに確かに刻まれた。

しかし、その時間はゆるやかに、霧散していった。

1人、また1人と僕の元を離れていった。いや、彼らからしてみれば、僕の方から離れていったのだと考えるかもしれない。

いずれにせよ、あの秋に僕らが共有した(と僕は信じたい)時間はもうなく、僕らは再び個別の世界で生きている。

これで良かったのだと思う、と君は言った。

そうかもしれない。あの後君に連絡をかけようと逡巡したけれど、最後の一歩で僕は踏みとどまってしまった。

けれど、それでいいのかもしれない。

僕らは、限られた人生の、限られた一区間に、確かに同じ時間を生きていた。

お互いに別々の道を歩むとしても、君が、君たちが、より穏やかに暮らせるなら僕は本当に嬉しい。