僕たちはきっと分かり合うことはできない

SNSやネットニュースのコメント欄とかで僕の主張とは異なる価値観が展開されてると、つい反論したくなる。彼らの主張の論点の不備を並べ立てて、僕の主張が正しいんだと押し通したくなる。

 

でも基本的に実際に行動に移すことはない。そもそも誰かと激しく意見を交換することが得意じゃないし、その行為がどうしたって「攻撃」の要素を持ってしまうから。

 

でもそういった自分とは違う意見や主張がおおむね高評価を受けていると、どうしてもやるせなさを感じるし、もやもやする。

 

だからこう思うことにした。

 

僕たちはきっと本質的に分かり合うことはできないから、話し合う必要なんかないんだと。

 

僕たちは分かりあう必要なんかないし、分かり合おうとする必要もない。

ああ君はそう思うんだね。でも僕たちはきっと分かり合えないから、お互いの主張のどちらが正しいかなんて、とても不毛だよね。

そう思うようにしたい。

 

突き放す行為だから、これはちょっと冷たすぎる態度かもしれないけど、世の中のいろんな問題にそれぞれ「ただ一つの解」を話し合って決めていくには、あまりにもしんどすぎると思う。僕はしんどい。

 

分かり合えないという前提のもとに立つと、僕の意見と異なる意見があっても、そこまでもやもやしない。

 

きっと分かり合えない。だから話し合う必要も、妥協し合う必要もない。

 

僕らはずっと平行線で、それぞれの価値観を生きていく。

 

一種の諦めだけど、それがきっと楽だ。

 

これは、世の中全体がそういう風に無関心であればいいと思っているわけじゃない。

今日もどこかでいろんな主張がぶつかり合っている現状に、僕が一石を投じたいということでもない。

 

あくまで僕の人生のスタンスとして、他者の意見に無関心でありたい。より厳密に言えば、SNSやネット記事のコメント欄だとかで交わされる議論に対して、一定の距離を保って生きたい。

 

それだけ。